

伊藤バリスタ(猿田彦珈琲)が初出場で世界5位の快挙!おめでとうございますでし!
2025年10月17日から21日まで、イタリア・ミラノのHostMilanoで開催された「ワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)2025」は、オーストラリア代表のジャック・シンプソン選手の優勝で幕を閉じました。世界50ヶ国以上のナショナルチャンピオンが集結したこの大会で、シンプソン選手は過去2年間の準優勝、3位という実績を経て、ついに世界一の座を射止めました。
そして日本代表の伊藤 大貴バリスタ(猿田彦珈琲)は、初出場で世界第5位という快挙を成し遂げました。今回は各ファイナリストのプレゼンテーションについて、World Coffee Championshipsの競技動画を参考に独自解説いたします。(※音声の一部に不明瞭な箇所があり、正確ではない可能性があるため、予めご了承くださいませ)
WBC2025 大会概要
各国を代表するバリスタは、15分間の持ち時間内に、以下の3種類のドリンクをそれぞれ4セット(審査員4名分)作成します。
- エスプレッソ・コース:純粋なエスプレッソの抽出技術とクレマの完成度を評価。
- ミルク・コース:エスプレッソと牛乳(または代替ミルク)を組み合わせたドリンクのバランスを評価。
- シグネチャー・コース:エスプレッソをベースに、独創的なドリンクを作成し、風味の独創性、完成度、コンセプトを評価。
審査員は、味覚(センサリー)、技術(テクニカル)、プレゼンテーションの各要素に基づいて厳正な審査を行い、合計スコアで順位を決定します。
| 項目 | 詳細 |
| 開催都市 | イタリア ミラノ (Milan, Italy) |
| 会場 | HostMilano |
| 開催期間 | 2025年10月17日(金)~10月21日(火) |
| 主催 | Specialty Coffee Association (SCA) – World Coffee Championships (WCC) |
| 大会の特色 | 第25回記念大会。世界50ヶ国以上のナショナルチャンピオンが参加し、エスプレッソ、ミルク、シグネチャーの3部門で競技を実施。 |
| 公式スポンサー | (2022年〜2025年 認定スポンサー) |
| エスプレッソマシン・スポンサー: Tempesta by Barista Attitude | |
| グラインダー・スポンサー: Mythos MY75 by Victoria Arduino | |
| 水ろ過スポンサー: BWT water+more |
大会結果
今大会のランキングは以下の通りとなりました。WBCの評価基準のうち、重要な要素として、ドリンクとプレゼンテーションの一貫性が求められます。彼らはどのような抽出哲学を伝えたかったのか?それぞれのプレゼンテーションについて振り返り、解説してまいります。
| 順位 | 選手名 | 国名 | 所属 | 決勝スコア |
| 優勝 | ジャック・シンプソン (Jack Simpson) | オーストラリア | Axil Coffee Roasters | 643.0 |
| 2 | サイモン・サンレイ (Simon SunLei) | 中国 | Marus Coffee | 628.0 |
| 3 | ベン・プット (Ben Put) | カナダ | Monogram Coffee | 592.5 |
| 4 | ジェイソン・ルー (Jason Loo) | マレーシア | Contour | 588.5 |
| 5 | 伊藤 大貴 (Hiroki Ito) | 日本 | 猿田彦珈琲 | 566.0 |
| 6 | クリストファー・サヨン・ホフ (Christopher Sahyoun Hoff) | デンマーク | April | 412.0 |
オーストラリア代表 ジャック・シンプソン選手
プレゼンテーマ:バリスタの責任とコーヒーの価値共有
遡ること2024年5月。韓国の釜山で開催されたワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)決勝。オーストラリア代表のジャック・シンプソン選手は、発表を待つ世界最高のバリスタたちの中に立っていました。前年の大会で僅か1.0ポイント差で優勝を逃した彼は、深く落胆したそうです。失意の底から救済してくれたのは、今大会で使用したコーヒー豆の生産者ジョナサン・ガスカ氏(コロンビア・サルサ農園)でした。
シンプソン選手は、彼との出会いを通じて、生産者の犠牲や努力といった目に見えない価値を伝えることがバリスタとしての責任であると改めて問い直す契機になりました。そして、競技会の結果やトロフィーに固執するのではなく、コーヒーを通じた「人間のつながり」と「価値の共有」こそが重要であると再認識しました。
彼は、バリスタの最も重要なツールは「声」であると語ります。ステージ上でもカフェでも、生産者を含む「すべての人を代表すること」が私たちの責任であり、コーヒーの価値を業界や顧客に共有することが使命であると。彼のプレゼンテーションでは、コーヒー生産の脆弱性と生産者の計り知れない努力を強調しました。
エスプレッソ・コース
エスプレッソ・コースに使用したコーヒー豆「Ether(エーテル)」は、パナマ・デボラ農園のジャミソン・サベージ氏による、ハイブリッドな精製方法(ナチュラル製法→窒素マセレーション(タンクに窒素を充填し50時間発酵)→ウォッシュド製法)のゲイシャです。さらにウェーブマシンを駆使し、分子結合させてテクスチャーを向上させました。20gイン、47gアウト、28秒のレシピ。
- テイスティングノート: ネーブルオレンジ、イエローピーチ、アールグレイティー。ジューシーなテクスチャーとミディアムボディ。長く続く紅茶のようなアフターテイスト。苦味はほとんどありません。
- 生産者のストーリー: シンプソン選手がサベージ氏の農園を訪れた際、極端な雨による作物の損失や地滑りによる木と表土の損失などといった、コーヒー生産の脆弱性を目の当たりにします。サベージ氏の努力は、長年の献身と多くの失敗を乗り越えた結果であり、その「努力の価値」を理解し、共有することの重要性を訴えました。
ミルク・コース
ミルク・コースに使用したコーヒー豆は、コロンビア・サルサ農園のジョナサン・ガスカ氏による、パパイヤの果実と一緒に発酵させる独特な精製方法(複雑な酸味のために収穫直後に60時間酸化、160時間の嫌気性発酵、レイズドベッドで16日間仕上げ)です。ミルクはブレンド(90%の全乳に10%の凍結還元ミルク?)でクリーミーなテクスチャー。Probat UG22で焙煎しました。21gイン、35gアウトを24秒のレシピ。
- テイスティングノート: チェリー、キャラメル、モルトチョコレート。
- 生産者のストーリー: ガスカ氏は、シンプソン選手の訪問を前に、他の生産者と比べて遅れをとっていると思われるのではないと心配し、高価なバイオリアクター(微生物、酵素、細胞などを用いて、目的物質を効率的に生産・培養する装置)を購入していました。この行動は、競技者であるバリスタが送るメッセージが、生産者に与える影響の大きさをシンプソン選手に気づかせました。華美な最新設備ではなく、生産者自身の真摯な努力を評価することが重要であると主張しました。
シグネチャー・コース
シグネチャー・コースは、両生産者のコーヒー豆から抽出したエスプレッソを2杯(ミルク・コースと同量)使用して表現しています。フレーバーを引き立たせるために4℃で提供。
- ジョナサン・ガスカ氏のコーヒー豆の表現:エスプレッソに、ガスカ氏の農場の蜂蜜を野生発酵させたハニービネガーを加え、新しいバイオリアクターではない「伝統的な発酵方法」を強調しました。フレーバーはラズベリー、コンブチャ、グアバ。
- ジャミソン・サベージ氏のコーヒー豆の表現: ゲイシャのエスプレッソに、コーヒー生産の副産物であるカスカラとパッションフルーツの外皮から抽出した蒸留物を加え、炭酸化。通常は廃棄物であるものを価値に変えることで、サベージ氏の「最高のコーヒーを作るという20年間の決意」と、逆境を乗り越える彼の価値を際立たせました。フレーバーはピンクグレープフルーツとマンゴー。
プレゼンテーション総括
ジャック・シンプソン選手は、バリスタの「声と行動はこれまで以上に重要」であり、コーヒーのプロフェッショナルとしてコーヒー生産者を含む「すべての人を代表すること」が役割であると結論づけました。彼のプレゼンテーションは、競技の技術だけでなく、生産者への深い敬意と、業界におけるバリスタの責任を力強く伝えるものでした。そして競技会の結果やトロフィーに固執するのではなく、コーヒーを通じた「人間のつながり」と「価値の共有」こそが重要であると提唱しました。
中国代表 サイモン・サンレイ選手
プレゼンテーマ:エコフレンズ・プロジェクトと低炭素イノベーション
サイモン・サンレイ選手は気候変動がコーヒーに与える影響に対抗するため、持続可能な未来と消費者と生産者の繋がりを実現する「エコフレンズ・プロジェクト」と「低炭素イノベーション」を通じて、より環境に優しいコーヒーの未来を築くことへの提言を行いました。
彼がコーヒー業界の持続可能性について語り始めたのは、2023年頃でした。日々のカフェ業務で多くのリソースを使用していることや、気候変動がコーヒー栽培に与える影響のニュースから、次世代のためにコーヒーをより良くする方法を考え始めたそうです。
エスプレッソ・コース
エスプレッソ・コースに使用したコーヒー豆は、エコフレンズ・プロジェクトと提携したパナマ・フライングプーマ農園のジョー氏による標高1,900mのゲイシャです。彼は、高品質のコーヒーは健康な土壌から始まると信じ、剪定された枝や廃棄された植物を有機炭に変え、土壌を豊かにするバイオチャー法を実践しました。プロセスは、14℃の流水で16日間浸漬し、26日間の低速乾燥。これは廃水を出さない環境配慮型のプロセスとしてハイライトしています。20gイン、50gアウト、92℃のレシピ。
そして、特筆すべきはWDTツール「ECOVAC(Eco-friendly Vacuum)」でしょう。ディストリビューション時に真空にすることで、より多くのCO2(最大14%)を除去し、コーヒーベッドをより均等にし、コーヒーの品質を向上させることができます。またタイムモア社と共同開発したカップも見逃せません。飲み口で異なるテイスティング体験ができる非対称なカップは、厚みの薄い方で飲むとクリアさが引き立ち、もう片側で飲むとバランス感を楽しめます。
- テイスティングノート: ジャスミン、ネクタリン、オレンジ、ジャスミンティーのフィニッシュ。ミディアムボディで鮮やかな酸味、ジューシーなテクスチャー。
ミルク・コース
ミルク・コースに使用したコーヒー豆は、同じくエコフレンズ・プロジェクトと提携したコロンビアの農園による標高1,900mのピンクブルボンです。甘さと食感のバランスを取るために、21gイン35gアウトのエスプレッソを抽出。ミルクと1対4の割合で合わせ、58℃で提供しました。ミルクは、全乳35%+ココナッツミルク35%+カーボンニュートラルミルク30%のブレンド。60℃で2時間低温調理し、水分を20%除去して甘さを増強させました。
サンレイ選手は、乳製品は炭素排出の主要な原因であるとして、このブレンドによりカーボンフットプリント(製品やサービスのライフサイクル全体で排出される温室効果ガスをCO2に換算して数値化したもの)を最大70%削減できると主張しています。
テイスティングノート: ブルーベリージャム、ミルク、バニラビスケット。スムースなテクスチャーで、長い後味。
シグネチャー・コース
シグネチャー・コースは、エスプレッソ・コースと同一のものを使用しています。ドリンクのコンセプトには、使用済みのコーヒーかすを使用してフレーバーの変容をもたらしたり、農園から直接持ち込まれた発酵液を殺菌・濾過して再利用するなどといった、アップサイクルによる持続可能性の要素が含まれています。そしてカーボンニュートラルミルクを加え、窒素を充填し、イタリアのマスカットを想起させるフレーバーに仕上げました。
テイスティングノート: ラベンダー、タンジェリン、マスカット。滑らかなテクスチャーで長い余韻。
プレゼンテーション総括
サイモン・サンレイ選手のプレゼンテーションは、「エコフレンズ・プロジェクト」と「低炭素イノベーション」をテーマに掲げ、コーヒーの栽培から抽出、提供に至るまでの全工程で持続可能性を追求する、非常に革新的なものでした。
サンレイ選手の成功を支えたのは、チームのサポートだけでなく、「ECOVAC」といった革新的なツールを駆使したことや、タイムモア社と共同開発したカップによってもたらされたのでしょう。
カナダ代表 ベン・プット選手
プレゼンテーマ:自身に影響を与えた人々へのオマージュ
ベン・プット選手は、業界がコーヒー専門家(メンター)の知恵と知識の共有によって構築されているという信念を体現するため、彼に影響を与えた人々へのオマージュとして、それぞれのドリンクに落とし込みました。プレゼンテーションでは自身の肖像画を用いて、彼自身が生産者とメンターの「知恵と知識の小さな断片」の集合体であることを視覚的に表現しました。
また今大会から競技ルールの改訂があり、従来の「温かいミルク飲料」という文言が削除され、「すぐに消費できる温度で提供される温かい飲み物」へ変更されました。彼はその変化にすぐさま察知し、ミルク・コースの開発に着手したそうです。
プット選手は、ミルク・コースをミルクベースのシグネチャードリンクコースに変更することで、世界のカフェトレンドの向かうべき方針をより発展させることができると提案しました。さらに彼は、WOC(コーヒー関連イベント)に一般消費者の参加を増えれば、生産者の業界全体の理解が深まると提言しました。
エスプレッソ・コース
エスプレッソ・コースに使用したコーヒー豆は、プット選手に大きな影響を与えた3人の著名な生産者、ボリビア・アグロタケシ農園のマリアナ・イチウラルデ氏、パナマ・エリダ農園のウィルフォード・ラマスタス氏、パナマ・デボラ農園のジャミソン・サベージ氏のゲイシャを「ブレンド」したものです。ブレンドにした理由は、生産者の視点のメタファーであるからです。いずれの豆も標高1,900m以上で栽培され、テロワール由来のクリアなフレーバーが特徴です。ミディアムボディでベルベットのような長い後味。18.5gイン、38gアウト。4つの温度で抽出することでバランスを促進し、チャネリングを排除し、抽出を増加させました。
- マリアナ・イチウラルデ氏(アグロタケシ農園): 25年間ウォッシュドプロセスのみを生産してきた彼女が初めて手がけた、8日間発酵させた嫌気性ナチュラルコーヒー。これによりストーンフルーツの風味が追加されました。
- ウィルフォード・ラマスタス氏(エリダ農園): エチレンガスを用いて実験されたゲイシャ。果実の熟成を促進するこのプロセスは、コーヒーに驚くほどの甘さをもたらしました。
- ジャミソン・サベージ氏(デボラ農園): 革新的なハイブリッドプロセス「Eclipse(エクリプス)」を経たゲイシャ。嫌気性処理から始まり、ウォッシュドで仕上げるこのハイブリッドなプロセスがフローラルさを与えます。
- テイスティングノート: パイナップル、プラム、オレンジ、オレンジの花、ダークブラウンシュガーのアフターテイスト。
ミルク・コース
ミルク・コースに使用したコーヒー豆は、エスプレッソ・コースと同一のものを使用しています。オレゴン大学の化学教授であり、最も美味しく効率的なエスプレッソの研究を行なっているクリストファー・ヘンドン氏の教えから得た科学的知識を応用した、革新的なアプローチが採用されました。プット選手にとってヘンドン氏は最高の先生であり、ミルク・コースのドリンクは彼の成長のメタファーと言えます。
プット選手はプレゼンテーションの開始直後、カップの底に30mlのフリーズスティル(凍結蒸留)ココナッツミルクを凍らせていました。彼はそのカップにエスプレッソ、ミルクを注ぎ一度提供。その後、8,000回転の電動ミキサーをカップの上に乗せ、凍ったココナッツミルクを混ぜ込みます。この撹拌により、ドリンクの温度が10℃まで下がり、フレーバープロファイルが劇的に変化し、1つのカップで2度楽しむことができる全く新しい体験が生み出されます。
- テイスティングノート:
最初の一口(温かい状態): ダークチェリーとベイリーズアイリッシュクリーム。
撹拌後(冷たい状態): ストロベリーアイスクリーム、チョコレートミルク、キャラメル。作りたてのミルクセーキのテクスチャ。パイナップル、プラム、オレンジ、オレンジの花、ダークブラウンシュガーのアフターテイスト。
シグネチャー・コース
シグネチャー・コースは、ヘンドン氏とメンターによってプット選手の隠れた資質と能力を見出してくれたオマージュです。
シグネチャー・コースに使用したコーヒー豆も、エスプレッソ・コースと同一のものを使用しています。まずエスプレッソ4杯分を冷却装置で冷やします。次に、ゲラニオールとネロールというテルペン芳香族化合物(オレンジの花のノートを持つ)を、透明な食品安全な乳化剤であるグリコールと混合します。この水溶液にコールドプレスされたマンゴージュース20mlを加え、冷やしたエスプレッソを注いでいきます。最後に40gの氷と混ぜて、爽やかな温度とクリーミーなテクスチャを実現します。
- テイスティングノート: ピーチ、アールグレイティー、ローズ。レモングラスのアフターテイスト。
プット選手は、このドリンクが「全員のメタファー」であり、バリスタの隠れた資質と能力は「知恵と知識の小さな断片」を注意深く足し合わせることで明らかになっていくと締めくくりました。
プレゼンテーション総括
ベン・プット選手のプレゼンテーションは、彼に影響を与えた人々からの「知恵と知識の小さな断片」を融合させ、それによって彼自身の能力が開花した過程を表現する深いテーマに貫かれていました。彼のドリンク構成は、生産者(エスプレッソ)、科学的知識(ミルク)、そして自己の能力(シグネチャー)という成長のメタファーとして機能しました。
マレーシア代表 ジェイソン・ルー選手
プレゼンテーマ:コーヒーが導く自己変容の旅路
ジェイソン・ルー選手は、マレーシア勢初の決勝進出という歴史的快挙を成し遂げました。彼のプレゼンテーションは、自身の「バリスタとしての旅路」、特に「内向的な性格から外向的な性格への変容」をテーマに、個性豊かな2種類のコーヒーと独創的なドリンク構成で表現されました。
エスプレッソ・コース
エスプレッソ・コースに使用したコーヒー豆は、パナマ・ヌグオ農園のゲイシャです。繊細でエレガント。ルー選手の内向的な性格をエスプレッソで表現しました。15℃のタンクで3日間自然発酵させ、22℃の温度管理された部屋で11%の水分になるまでゆっくりと乾燥させました。これにより、鮮やかな酸味と滑らかでジューシーなテクスチャーが得られます。20gイン、46gアウト、91.5℃のレシピ。
- テイスティングノート: オレンジ、アプリコット、ハチミツ、そしてオレンジブロッサムのアフターテイスト。
ミルク・コース
ミルク・コースに使用したコーヒー豆は、エスプレッソ・コースのゲイシャと、ルー選手の故郷であるマレーシア産リベリカのブレンドです。リベリカ特有の渋み(Astringency)を抑制し、甘さを引き出すための革新的な処理が施されています。熱衝撃で表面殺菌後、サッカロミセス酵母を加え48時間嫌気性発酵し、フルーティーな特性を付与します。そして、冷暗室を用いた特殊乾燥で品質を安定化し、乾燥速度を遅く制御することでリベリカ特有の渋みを低減し、甘さを強化することに成功しました。
リベリカ5g+ゲイシャ15gで36g抽出のレシピ。そしてミルクはブレンドで設計。30%凍結蒸留した牛乳70%+ココナッツミルク20%+オーツミルク10%の構成。58℃にスチームし、フローズンボールで急速な冷却するとクリアなフレーバーがハイライトされます。
ミルク・コースでは、表現力や大胆さといった、彼が実践し始めた外向的な面を象徴しています。コーヒーもミルクもブレンドで設計しているのは、「成長」の意味が込められているからです。
- テイスティングノート: 塩味カシューナッツ、パイナップルジャム、バタークッキー。クリーミーでベルベットなテクスチャー。
シグネチャー・コース
シグネチャー・コースでは、内向性と外向性を統合し、新しい体験価値を創出する「変容」がテーマになっています。
シグネチャー・コースに使用したコーヒー豆も、エスプレッソ・コースのゲイシャと、マレーシア産リベリカのブレンドです。ゲイシャ18g+リベリカ2gに調整し、アロマの表現とドリンクとしてのコア構造を強化。内向性と外向性を反映した水溶液をエスプレッソと合わせ、15℃に冷やして提供しました。
- 内向性(ベリーシュラブ由来の水溶液を使用):ラズベリーとブルーベリー、白砂糖をマセレーションし、エスプレッソと融合させ、さくらんぼとハイビスカスのフレーバーを引き出しました。
- 外向性(果実などの抽出液であるアロマティックインフュージョン由来の水溶液を使用):ジュニパーベリー、グレープフルーツピール、バニラビーンズを煮出し、CO2でカーボネーション。エスプレッソと合わせブラッドオレンジと白ワインのフレーバーへ。
- テイスティングノート: ブラッドオレンジ、さくらんぼ、ハイビスカス、白ワイン。
プレゼンテーション総括
ジェイソン・ルー選手のプレゼンテーションは、内向的(エスプレッソ)な自己を認識し、外向的(ミルク)な特性を実践することで、新しい自己(シグネチャー)へと変容する旅を、3つのドリンクコースで表現しました。コーヒーを通して自分のコアを認識し、意図的な変化を通じて成長を実践し、より良い自分に変容するというメッセージを届けました。
日本代表 伊藤 大貴バリスタ
プレゼンテーマ:「おもてなし」を体現した究極のコーヒーへの追求
伊藤 大貴バリスタは、日本の精神「おもてなし」を核とした、究極の一杯への追求をテーマにプレゼンテーションを披露しました。直前の体調不良による入院を乗り越えて臨んだ決勝の舞台では、WBC25周年の節目として「シンプルさ・原点回帰」を掲げ、カップには「親密さ・物語・忍耐」のメッセージが込められていました。
今大会において、「エスプレッソ→ミルク→シグネチャー」という提供順序でプレゼンテーションを行う競技者が多い中、伊藤バリスタは意図的にシグネチャー・コースを最初に提供しました。シグネチャー・コースこそが伊藤バリスタのプレゼンテーマである「おもてなし」を体現できるからです。
シグネチャー・コース
手始めとして、伊藤バリスタは「おしぼり」を審査員に提供しました。おしぼりには落ち着かせてリラックスさせる役割と「あなたが重要である」というメッセージが込められ、「親密さ」つまりゲスト(審査員)との距離感を最小化する意図(小さいテーブルを使用し物理的にも距離を最小化)があります。シグネチャー・コースでは日本的な「おもてなし」を表現しています。
伊藤バリスタは全てのコースで同一のコーヒー豆を使用しています。パナマ・エスメラルダ農園、標高2,000mを超える高地で栽培されたクラシックウォッシュドのゲイシャです。「おもてなし」の精神に基づき、ゲストとの距離感を生じさせないよう、専門用語や農園の詳細な情報を控え、簡潔なコミュニケーションを重視しました。
ジャスミンでフローラル。ジューシーな柑橘系でハニーノートのプロファイルがあるエスプレッソに、「日本」・「農園」・「バリスタ」と3つのインスピレーション(技術)を加えていきます。
- 日本のインスピレーション:柚子シロップ(柚子果汁と果糖1:1)30gに、2日間かけて抽出した金木犀1%を加えて、白桃・マンダリンのフレーバーに変化。
- 農園のインスピレーション:農園ではトマトがコーヒーの木と一緒に育成されています。トマトが落ちて、コーヒーの土壌が豊かになることから着想を得ました。トマトウォーター40gを合わせると白ワインのフレーバーを創出。
- バリスタのインスピレーション:卵白4gを加え、スチームワンドで45°Cに温めます。タンパク質由来のきめ細かな口当たりとバランスを付与。
- テイスティングノート: ジャスミン、白桃、マンダリン、白ワイン様のフィニッシュ。滑らかなテクスチャ。
ミルク・コース
ミルク・コースでは「おもてなし」を通して、「自身のバリスタとしての旅路」、「WBC25年のレガシー」、「コーヒー自体の物語」という3つの「物語」を祝う一杯に仕上げました。
WBC25周年を振り返るものとして、クラシックなプロセスのコーヒー豆を選定し、またミルクはオーツミルクを使用せず、シンプルに北海道産の牛乳(乳脂肪4.0%)のみを使用しました。
コーヒー豆の焙煎プロファイルは、デベロップメントタイムを短く調整。フローラルなアロマの元になる化合物・リナロールを守るために、低温焙煎でイエローポイントをコントロールしつつ、ファーストクラックの前に温度上昇させ、フローラルさを強調させました。
- テイスティングノート: ハニーサックル、ピーチ、クランベリー。滑らかなテクスチャーでハニーフィニッシュ。
エスプレッソ・コース
エスプレッソ・コースでは、「おもてなしは忍耐」であるとし、「答えを急ぐのではなく、適切な瞬間に明らかになることを許すこと」の意を伝えました。「忍耐」の演出として、エスプレッソの提供時にはクレマチェックのみを促し、ジャスミンのフレーバーを活性化させる適温まで冷ましてから5回攪拌し、テイスティングするよう推奨しました。
また使用したパナマゲイシャのコーヒー豆は、初収穫まで10年以上かかる厳しい栽培条件にあることを説明し、生産者にとっては「忍耐」の象徴であると伝えました。
コーヒー豆の焙煎プロファイルは、ミルクコースよりも長くデベロップメントタイムを調整し、甘さとバランスをもたらしました。これはWBCチャンピオンの井崎 英典氏にインスパイアされたものです。
- テイスティングノート: ジャスミン、オレンジブロッサム、オレンジ、ハニー。ローウェイトでラウンドなテクスチャー。ティーライクで長いアフターテイスト。
プレゼンテーション総括
伊藤バリスタのプレゼンテーションは、自身のバリスタとしての10年間の探求にエネルギーを与えてきた「おもてなし」をテーマを段階的に表現しました。日本の「おもてなし」という精神を通して「親密さ」を表現。そして究極のコーヒーを目指すバリスタの「物語」を構築し、最後に生産者の「忍耐」を統合させました。
デンマーク代表 クリストファー・サヨン・ホフ選手
プレゼンテーマ:哲学的な自己探求とプロセスの革新
クリストファー・サヨン・ホフ選手は、哲学者シドニー・バンクス氏が提唱する「マインド・意識・思考」の三つの原則を軸に、エスプレッソ、ミルクドリンク、シグネチャードリンクを提供し、WBC初出場での決勝進出という快挙を成し遂げました。
エスプレッソ・コース
エスプレッソ・コースに使用したコーヒー豆は、コロンビア・ネグリタ農園のマウリシオ・シャッタ氏によるウシュウシュです。標高2,100mの火山性土壌で、コーヒーチェリーが糖度20%に達するまで成熟させ、手摘みで甘さを最大化させました。
ヌルク(麹に似た韓国の伝統的な醸造に用いられる発酵種)を用いた二段階ナチュラルプロセスを採用。第1段階では、レイズドベッドでヌルクの酵母を増殖させ、ベルベットのようなテクスチャーとゴールデンキウイ様のトロピカル特性を強化。第2段階では、温度管理された暗室で乾燥を遅らせ、キャンディのような甘さを強調しました。19gイン、48gアウトのレシピ。
- テイスティングノート: 黒ぶどう、ゴールデンキウイ、ポメロ。糖蜜のようなアフターテイスト。
ホフ選手は自身の経験から、競争は迷走の要因になりうるとした上で、他人の評価に翻弄されるとクリエイティブな発想を諦め、プレッシャーからパフォーマンスをするようになったと語ります。哲学者シドニー・バンクス氏は「私たちがすべてであるのは、平和、愛、そして知恵であり、私たちがそうでないという錯覚を作り出す力である」と提唱しており、ホフ選手はこの教えからコーヒーの味覚の完成度を立脚し直すことで錯覚を克服しました。彼はコーヒー豆の選定にあたり、外部からの圧力(ゲイシャを推奨する声など)を受けましたが、このウシュウシュをテイスティングした瞬間、周囲の声(ノイズ)を気にならなくなりました。これは、「他人に疑いを持たれたらポテンシャルを信じろ」というシャッタ氏の信念によるもので、自身の確信に導かれた「マインド」でウシュウシュを選びました。
ミルク・コース
ミルク・コースに使用したコーヒー豆は、エスプレッソ・コースと同一のものを使用しています。
ミルクはブレンドで設計。ラクトースフリーミルク (90%)+マカダミアミルク (8%)+ココナッツミルク (2%)のレシピ。シルキーなテクスチャーでウシュウシュのトロピカルなフレーバー特性を補完しました。エスプレッソとミルクは1 : 3のレシオで、50℃にスチーミングして甘さを最大化させました。
ホフ選手は、スチーミングについて思考過多によるスキルのストレス化を避け、「意識」(本能的)に従うことで安定した品質を追求しました。そして焙煎についても考えすぎる部分がありましたが、意識的にコーヒー豆のポテンシャルを導き出すことができました。緩やかの温度上昇で最終的なDTR(Development Time Ratio)は15%。焙煎後、ポテンシャルを最大化するために合計5週間寝かせて熟成させました。
- テイスティングノート: バナナ、ココナッツクリーム、バニラ。バニラのような長いアフターテイスト。
シグネチャー・コース
シグネチャー・コースに使用したコーヒー豆も、エスプレッソおよびミルク・コースと同一のものを使用しています。
ホフ選手はシグネチャー・コースの設計当初、自身の経験則から不十分なものになると考えていました。しかし、強い印象の与える斬新なデザインよりも現実味のあるデザインに「思考」を変化させ、自身の好みに基づいたドリンクに仕上げました。目標は「日常的に飲み続けられるおいしさ」と競技映えの両立であり、「完璧なバランス」を達成したシグネチャードリンクこそが良いシグネチャーであると再定義したためです。
ウシュウシュのエスプレッソ4ショットをベースに、ベルベットのような質感と相性が良いココナッツウォーター 50gを加え、ドライアプリコットのフレーバーを創出。次にサジーベリー100gに1%のヌルクを接種し、2週間発酵・濾過させた28gを加えます。それによってマンゴーのフレーバーを付与し、酸味とアロマの複雑性を向上させました。そして、深みと丸みを持たせるために高糖蜜とナツメグ1%を合わせたシュガーシロップ30gを加え、クローブのフレーバーを作り出します。仕上げに氷50gと約15秒ブレンドし、冷却とフレーバーを増幅させます。
- テイスティングノート: ドライアプリコット、マンゴー、クローブ。クローブのような長いアフターテイスト。
プレゼンテーション総括
クリストファー・サヨン・ホフ選手は、哲学的な自己探求と、ウシュウシュの革新的なプロセスを融合させた、一貫性のあるプレゼンテーションを披露しました。WBC初出場ながら決勝進出という偉業を達成し、WBCに新たな可能性を示しました。
今大会における主要トレンド
最後に、6名の選手が各コースで使用したコーヒー豆、品種、精製方法、テイスティングノートの概要をまとめました。
| 選手名(代表国) | コース | コーヒー豆(生産国・農園) | 品種 | 精製方法 | テイスティングノート |
| ジャック・シンプソン(オーストラリア) | エスプレッソ | パナマ・デボラ農園 | ゲイシャ | ハイブリッド:ナチュラル→窒素マセレーション(50時間)→ウォッシュド | ネーブルオレンジ、イエローピーチ、アールグレイティー |
| ミルク | コロンビア・サルサ農園 | – | 収穫直後60h酸化→160h嫌気性発酵→レイズドベッド16日乾燥 | チェリー、キャラメル、モルトチョコレート | |
| シグネチャー | エスプレッソコースの豆2種を使用 | ゲイシャ | 同上 | ラズベリー、コンブチャ、グアバ / ピンクグレープフルーツ、マンゴー | |
| サイモン・サンレイ(中国) | エスプレッソ | パナマ・フライングプーマ農園 | ゲイシャ | バイオチャー法実践。廃水なし:14℃流水16日浸漬→26日低速乾燥 | ジャスミン、ネクタリン、オレンジ |
| ミルク | エコフレンズ・プロジェクトと提携したコロンビアの農園 | ピンクブルボン | – | ブルーベリージャム、ミルク、バニラビスケット | |
| シグネチャー | パナマ・フライングプーマ農園 | ゲイシャ | – | ラベンダー、タンジェリン、マスカット | |
| ベン・プット(カナダ) | エスプレッソ | ブレンド:ボリビア・アグロタケシ農園、パナマ・エリダ農園、パナマ・デボラ農園 | ゲイシャ | ブレンド:嫌気性ナチュラル、エチレンガス熟成促進、ハイブリッド(嫌気性→ウォッシュド) | パイナップル、プラム、オレンジ、オレンジの花 |
| ミルク | ブレンド:ボリビア・アグロタケシ農園、パナマ・エリダ農園、パナマ・デボラ農園 | ゲイシャ | 同上 | (温)ダークチェリー、ベイリーズ / (冷)ストロベリーアイス、チョコレートミルク | |
| シグネチャー | ブレンド:ボリビア・アグロタケシ農園、パナマ・エリダ農園、パナマ・デボラ農園 | ゲイシャ | 同上 | ピーチ、アールグレイティー、ローズ | |
| ジェイソン・ルー(マレーシア) | エスプレッソ | パナマ・ヌグオ農園 | ゲイシャ | 15℃タンク3日自然発酵→22℃部屋で11%までゆっくり乾燥 | オレンジ、アプリコット、ハチミツ |
| ミルク | ブレンド:エスプレッソ豆とマレーシア産リベリカ | ゲイシャ / リベリカ | リベリカ:熱衝撃殺菌→サッカロミセス酵母48h嫌気性発酵→特殊乾燥(渋み抑制・甘さ強化) | 塩味カシューナッツ、パイナップルジャム、バタークッキー | |
| シグネチャー | ブレンド:エスプレッソ豆とマレーシア産リベリカ | ゲイシャ / リベリカ | 同上 | ブラッドオレンジ、さくらんぼ、ハイビスカス、白ワイン | |
| 伊藤 大貴(日本) | エスプレッソ | パナマ・エスメラルダ農園 | ゲイシャ | クラシックウォッシュド | ジャスミン、白桃、マンダリン、白ワイン |
| ミルク | パナマ・エスメラルダ農園 | ゲイシャ | クラシックウォッシュド | ハニーサックル、ピーチ、クランベリー | |
| シグネチャー | パナマ・エスメラルダ農園 | ゲイシャ | クラシックウォッシュド | ジャスミン、オレンジブロッサム、オレンジ、ハニー | |
| クリストファー・サヨン・ホフ(デンマーク) | エスプレッソ | コロンビア・ネグリタ農園 | ウシュウシュ | 二段階ナチュラル:レイズドベッドでヌルク酵母増殖→暗室で乾燥遅延 | 黒ぶどう、ゴールデンキウイ、ポメロ |
| ミルク | コロンビア・ネグリタ農園 | ウシュウシュ | 同上 | バナナ、ココナッツクリーム、バニラ | |
| シグネチャー | コロンビア・ネグリタ農園 | ウシュウシュ | 同上 | ドライアプリコット、マンゴー、クローブ |
なんと6名中5名の選手が、エスプレッソコースでパナマのゲイシャを使用していました。その華やかな風味特性が依然として競技会での主流であることを示しています。そして6名中3名の選手がコロンビアのコーヒー豆を選定しているのも見逃せません。また今大会では、戦略的なブレンドの活用にも注目が集まりました。ベン・プット選手は3つの農園のゲイシャをブレンドし、ジェイソン・ルー選手は故郷マレーシア産のリベリカをゲイシャとブレンドして、個性とストーリーを表現しました。
また精製方法においては、複合的な発酵プロセスが席巻していました、ジャック・シンプソン選手は「ナチュラル→窒素マセレーション→ウォッシュド」のハイブリッド。ベン・プット選手は「嫌気性→ウォッシュド」やエチレンガスを使用した熟成促進。ジェイソン・ルー選手はリベリカのサッカロミセス酵母発酵と特殊乾燥。クリストファー・サヨン・ホフ選手のヌルク(韓国の麹)を用いた二段階ナチュラルプロセス。革新的なプロセスが台頭する中、伊藤 大貴バリスタはクラシックウォッシュドをセレクト。改めて「原点回帰」の重要性を最高峰の舞台で訴求しました。
今大会においてベン・プット選手が言及したように、ミルク・コースのルールの柔軟化を受け、代替ミルクやブレンドミルクの使用も主流となりました。ジャック・シンプソン選手は「全乳90%+凍結還元ミルク10%」、サイモン・サンレイ選手は「全乳+ココナッツミルク+カーボンニュートラルミルク」、ジェイソン・ルー選手は「凍結蒸留牛乳+ココナッツミルク+オーツミルク」のブレンドでした。
全体として、2025年のWBC決勝は、革新的なプロセスの探求、持続可能性への配慮、そしてコーヒーを通じた生産者と消費者の価値共有という、競技技術を超えた深いテーマ性が特徴でした。

